自己破壊は再び流行する(ファイトクラブ編)
ゆらまつです。
部屋の片付けをしていたら、学生時代に映画「ファイトクラブ」について書いたレポートが出て来ました。この映画、本当に大好きです。
怪しい世界観や、時代を捉えたストーリー。
そして、魅力的なタイラーダーデンというキャラクター。
それを見つめる「私」という主人公。
ちょっとこの映画についてお話します。
主人公の「私」は物語冒頭で、部屋の話をするんですね。
自分の部屋の家具をIKEAで揃えるんですけど、完全に他人の視線を意識した部屋の作り方をしてるんです。
What kind of dining set defines me as a person?
なんて言葉も出て来たりして。
「a person」ってのは、peopleから離脱した1人の人間としてのキャラクターって意味でしょうね。
1人の人間としてのキャラクターを確立するために、IKEAで家具を揃え、その部屋がいわゆる「私」となる。という他人の目を異常なまでに気にした設定になってるんですね。
部屋が爆破された時も、「あの部屋は僕自身だ」とか言っちゃったり、
「恥ずかしい、調味料はそろっているのに食べ物が無い。」と、目の前のショッキングな事件を差し置いて、他人の目を気にして調味料だけそろえて満足した自分を恥じているほど。
いや、その前に部屋の爆破についてリアクションやろ!!
現代で言うところのインスタ映えする部屋ってやつですかね。
その後出て来るタイラーダーデンという男は、主人公の「私」とは全く逆なキャラクターなんです。
「物質至上主義を拒否する!」なんて言っちゃって、他人の目を気にして部屋を物質的に満たしていた「私」とは真逆の男です。
めちゃめちゃカッコいい!!
もし、会社をクビになったら、しばらくはタイラーのように生きたいって思います。男なら必ず思うんじゃないですかね?
この2人の登場人物が、ファイトクラブという、地下ボクシンググループを設立します。
Fight Club wasn’t about winning or losing.
というセリフからわかるように、強さを誇示するようなマッチョイズムのためのクラブではないんですね。
おそらく、「私」の部屋同様、他人の視線を意識して着飾った私個人の《壁》のようなものを、相互の殴り合いで壊しているんだと思うんですよね。
「殴り合いもしないで本当の自分なんてわからない」と言ってファイトクラブは設立されますし、
self-improvement is masturbation. Now, self-destruction…
というセリフがあるように、本当の自分をわからせる為の手段は「自己破壊」ですよ〜と言っちゃってます。
そのあとのシーンの、タイラーが「私」の右手に火傷させる時の傷跡、女性器っぽくないですか?
その時のセリフが、「痛み無しに何も生み出せない」「神は父である」という感じ、なんか出産をイメージしてるのかなって思ったり。
自己破壊で本当の自分がさらけ出されたところで、儀式的な行為によって現行の社会から逸脱した存在として生まれ変わったのかなって思います。
実際、このシーンの後くらいから、ファイトクラブはどんどん現実社会へ侵攻を始めます。
そして軍隊を作って、既存の社会構造を破壊に向けて様々な活動をします。
その中で「私」の葛藤があり…
という感じの映画です。上記の分析(?)は学生時代のものです。
一部省略していますが、久々に読んでなるほどね〜って思いました。自分で書いておきながら。
にしても、タイラーダーデンは本当にカッコイイですね、今見てもカッコいい。
今はSNSの加速で、自己プロデュースがエグい時代なので、
時代に逆行したキャラクター像は、現代でも魅力的です。
今は自己破壊ではなくて、自己研鑽の時代なのかなって思います。
Youtuberやプロブロガーなる人たちのような、既存の雇用体系にとらわれない働き方の人たちが、一般社会に広く認識され始めて、そこへ向けて自己研鑽を実施する人たちが多いんじゃないかなって思ってます。
でも多分、自己破壊の時代はやって来ます。多分不況になるタイミングで。
オリンピック前後くらいかな〜と思っています。
そうなると、自己破壊を象徴するようなキャラクターや映画が大ヒットするんじゃないですか?
自己破壊の時代が来ると、日本人は既存の雇用体系(終身雇用とか)を維持した企業に戻り始めると思います。
自己破壊ブームで、既存の雇用体系に戻るのは、社会構造の破壊を目指したファイトクラブのストーリーとは逆です。
でも、日本の企業は軍隊っぽいので、個としての「私」を壊すには一番でしょう?
ゆらまつ